初めてのマウイ

初めてのマウイは、1995年ハナ・マウイであった。

ところで、私にとって初めてのハワイは、1979年(S54)4月、22日間初渡米の時の帰りで、滞在三日間であった。中一日がちょうど日曜日に当たったので、自分一人ハワイの「空飛ぶはとバス」こと「ハワイ8島巡り」に個人参加した。

周りは全員アメリカ人で、案内人のアナウンスはチンプンカンプンだったが、おかげでハワイ、マウイ、カウアイ三島をゆっくりたっぷり観光することができた。

このときJAIMSに行って、ハワード三宅のお話を伺って以来、ほとんど毎年のようにツアーを作ってはJAIMSに連れていった。ハワード三宅の故郷は「マウイ」と聞いたが、そのときは別に特に感じることはなかった。

タヒチツアー

さて、80年NCC、81年WCCF(日本マイコンクラブ、白崎氏)、82年から毎年西研WCCFツアーをやっているうちに自信がついて、86年秋からついに念願の「タヒチツアー」を始めた。

86~88年の3年間はハワイ経由だった。89年からタヒチ直行便ができ、ハワイとの縁が切れた。そこで、95年から5月の連休を利用しての夫婦二人の個人旅行となったのである。

タヒチがあまりに素晴らしいので、ハワイでタヒチに近いところはないかなと探したら、マウイ島の東端に「ヘブンリー・ハナ」(天国のようなハナ)と呼ばれているところがあることが分かった。

95年5月、JTBを通じて、ハナホテルに二人で行った。なるほど、良いところには違いないが、タヒチに比べると、もちろん敵うべくもない。

ワイレア

マウイ島2年目の96年は、買い物も出来るようにと、マウイ島中南部のワイレアというリゾート地にしてみた。「インターコンチネンタル」・・・そこがJTBが世話してくれたホテルの名前だった。

ワイレアは北から、ルネッサンス、インターコンチ、グランドワイレア、フォーシーズン、ケアラニの五大ホテルが林立する。
このうちインターコンチは、1974年、一番最初にこの地域に建設されたということで、従業員は良いのだが、ホテルが古びていてやや貧相な印象だった。

しかし、五大ホテルのビーチに共同で作られた海辺のウォーキング・ロードは素晴らしく、Yは大喜びで歩いていた。プールサイドの「ジャグジー風呂」も、お気に入りの一つだった。

カアナパリ・アリイ

三回目の97年は、リゾート地元祖のカアナパリを選び、滞在も同地中央のコンドミニアム「カアナパリ・アリイ」にしてみた。近くにホエラーズ・ビレッジというSCもあり、それなりに良かったが、部屋が広くて、「いつかここに3家族で来てみたいものだ」というのが感想だった。

四回目は98年5月下旬。西研研修ツアーでマリオットに滞在。二卓MGだった。ゴルフあり、泳ぎあり、山登りあり、MGありの四日間。

五回目は、ちょっと飛んで2001年、北の方、カパルアベイ・ホテル。チェックアウトの時に、通信代がタダだった。(ちなみに、今年は18回、18ドル)

六回目(2002.05)は、第三回(97年)と同じカアナパリ・アリイ。
5年ぶりということだが、「いつの日か、3家族で来たいね」というのが実現して、幸せな旅行だった。折しも、Yが60歳の還暦に当たったので冒険だが実行した。

インターコンチは変わっていた

そして今年、第七回目の2003年は、96年から数えて七年ぶりのワイレア・インターコンチネンタル・ホテル。このホテルは、前回来たとき、ホテル名がアストンに変わったばかりだったが、その後アウトリガー・ワイレアになり、またもやこの四月一日から「ワイレア・マリオット・アン・アウトリガー・リゾート」という長ったらしい名前になっていた。

アウトリガーの時に大改装をしたらしく、前回7年前に来たときのどこか貧相な感じは見事に払拭されて、周りのほかの豪華リゾートとまず遜色なくなっていた。

ワイレアの良いところは、先にも書いたように五つのホテルをつなぐウォーキング・ロードだ。この遊歩道はカアナパリにもあるのだが、ワイレアの方は、五大ホテルの間に、エカヒ、エルア、エコル(1,2,3の意味)などという高級分譲別荘地が挟まれているため、さらに静かで豪華である。初めてきたときは、Yは興奮して歩いていたものだ。

インターコンチが良いのは、ホテルのグレードはさておき、なんとまるで敷地内みたいなところに、ワイレア・ショッピング・プラザがあること。以前もあるにはあったのだが、2000年に本格的にリニューアルされたそうで、ほんとに見違えるばかりに充実していた。ABCストアのほか、ジェネラルストアも開設されていて、これは便利だった。

「スーパーマーケットはないの?」と聞いたら、「キヘイに行けばある」という。キヘイは、このワイレアのすぐ北隣の町である。以前来たときは、関係ないとただ通過していたが、言われて「地球の歩き方」などを読んでみると、なんと経済的なコンドミニアム街なのである。

大ショッピングプラザの南隣に「スターマーケット」があった。ここに毎日喜んで買いものに行っていたが、さらに研究すると、山手のハイウエー通りに最近セーフウエーなどを中心にもっと大きな立派なショッピングセンターが出来ていた。ここのすごさはさすがにアメリカで、日本にないものがたくさんあった。

プールサイド

毎日ヒマである。朝は、ウォーキングの後、オーシャンフロントのテラスで、海を眺めながら朝食。その後、レンタカーでドライブをかねてショッピングに。

午後三時頃からYはプールサイドのジャグジーへ読書に出かける。私は部屋でパソコン通信したり、本を読んだり。18時頃プールサイドに迎えにいくと、Yはまだジャグジーの中で本を読んでいる。そのくらい明るい。

夕刻1730ごろから、二つある上の方のプールサイドでは、二人の楽団がハワイアンを始める。女性が一人フラを踊る。ムード満点。なかなかいい気分である。この時間、一人のパレオ一枚の若い男が、まずホラ貝を吹き鳴らし、そのあと構内を走り回って、ガスたいまつに点火してまわる。これがまたポリネシアらしくていい。

最後の夕食は、このプールサイドで、サンセットを見ながら、BGMに乗って食事をした。空気、景色、雰囲気が一体になって味覚を盛り上げてくれた。

そういえば、今回は五日間とも好天に恵まれ、さわやかで一度も雨に遭わない珍しいハワイだった。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)