TOCを超えて

   昨年の秋からもっぱら書いているように、『ザ・ゴール』で有名になったTOC(制約条件の理論)がきっかけになって、年末にTOCセミナーをやったり、1/28-29とNEC主催のTOCセミナーを受けたり、3/27に某セミナー団体主催の「TOCを超えて」という一日セミナーを覗いてみたりと、ここ半年、ずっとTOC、TOCの連続である。
3/27の「TOCを超えて」というセミナーは、冷やかし半分で受けてみたのに、案に相違して良くて、一日、講義だけにもかかわらず、まったく眠くならなかった。竹内均(40)という鶴岡高専出身の若い製造コンサルタントは、話も上手だった。
で、その先生が、盛んに「やっぱりトヨタですよ、JITですよ、看板ですよ」と言うので、そうかと思って、これまでまったく興味のなかったトヨタ式生産方式をちょっとかじってみるか、という気になった。
本屋に行くと、『トヨタ式人づくりモノづくり』(若松義人ほか著、ダイヤモンド社、2000円)という本がまじめで読みやすくて本物という気がしたので、それを買ってきた。まだ手を着けていない。

『SCM』から『デル革命』へ

  それと、もう一つ、TOCは結局サプライチェーン・マネジメント(SCM)の一環のような気がするので、どうしてもSCMはやらないと、TOCも位置づけがよく分からないような気がして、これも同書店にちょうど手ごろな読みやすいコバルトブルーの表紙の本『すぐわかる!SCM』(熊谷直樹著、かんき出版、1600円)があったので、さっそく読んでみた。
著者は、元サラリーマンで、その後ソフト屋をやることでSCMにも詳しくなった人のようで、この本を読むと、自分が企業にいた昭和40年代(1965~75)と30年たった今とでは、設計~購買~製造もコンピューターがらみになって、大きく変ぼうしたことが分かる。 で、この『SCM』の中で、二度も三度も、何回も繰り返し出てくるのが「デル・コンピューター」なのである。ちょうど超TOCの竹内氏がトヨタを褒めるように、『SCM』の熊谷氏がデル・コンピューターを褒めるのだったら、そのデルを調べなければならない。
デルについては、デルの社長が書いた本があることは記憶にあったので、浜松町の大きな本屋に行き、テレビ式の著者・著書検索機がちょうど空いていたので、著者名「でる」、書名「でる」と入れたところ、四冊ほどがヒットした。それの一番と二番が目指す社長の本だった。一番目は文庫本化されたもので、携帯しやすく、読みやすい。

マイケル・デルの『デル革命』

 一読ビックリした。これは凄い本だ。デル少年が生まれたのは昭和40年(1965)。とすると、まだ37才なわけだ。それでいて、IBMやコンパックを抜いて、今やPCシェア世界一というのである。なぜそういうことが出来たのか?それよりも、デル少年がまだ10歳前後のとき(1975)に、パソコン革命が起きている。
12歳のとき(1977)、PET-TANDY-APPLE2という「ご三家」が現れ、シリコンバレーを震源地として、アメリカは沸騰する!! そういう、人類史上、「産業革命」を超える、初めて人類が経験するようなビッグバン(宇宙大爆発)のPC革命の中で、感受性豊かなローティーンのデル少年が、何を感じ、いかに行動したのか?
彼は、15歳のとき、アップル2を無理して親に買ってもらう。
「家に着くと私は車から飛び降り、大事な荷物を自分の部屋に運び、嬉々として、真新しいコンピューターを分解してしまった。」(同書、30ページ)
この「分解する」という行為は、私のような文科系のよくするところではない。彼が非常に理科系的な人間である証拠だ。
彼は、12歳~18歳にかけて、いかに世の中のコンピューターが、PCが欺まんに満ちているか、不合理な存在かを見抜く。
「通常、IBM-PCの店頭での販売価格は約3000ドルだった。だが、部品は600~700ドルで調達出来るし、IBM独自のテクノロジーが使われているわけでもない。」(同書、32ページ)
マシンを売る電気屋の売り子たちは、まったく知識がない。サービスは皆無、それでもユーザーの熱意(マーケット・プル)で製品はどんどん売れて行く。
これでいいのか? コンピューターは、もっと良いものが、もっと安く、もっとサービスよく売られるべきではないか?
こうして、ふつふつとビジネスマインドが彼のなかに育ってくる。ついに親の意向に逆らって、彼はテキサス大学医学部の道を1年1か月で辞め、19歳にして会社を立ち上げてしまう。

戦略は「IBMを超える」、戦術は「ダイレクト・コネクション」。最初は、電話やファックスでダイレクト販売をやっていたが、途中でインターネットが出てくると、即「インターネット販売」をイの一番にビジネスの中心に据える!
こうして、衆目が「ダイレクト販売なんて無理」と見る中を、一路、まっすぐに倍々ゲームで、あっと言う間に4位→3位→2位とシェアを上げていくのだ。
ユーザーとダイレクトにつながり、その希望するものを一品生産的にユーザーに渡していく。徹底した在庫なし戦略と、アフターサービスによる顧客満足全米一! そしてついにナンバーワンにのし上がる。

アキュポイントはあるか?

 私は、コンピューター大好き人間の一人だ。「コンピューター気違い」だ。
私がPC革命に気づいたのは、世の中のPC革命の一年まえ、1979年だった。この秋にソードからM203マーク2を158万円で買い、翌80年1月のPIPS革命で、80年夏にPIPSマシンM203マーク3にグレードアップした。勿論、当時はon the deskだ。そして、1984年第一号マイツールもon the desk。1987年10月、第二回タヒチMGのときに、初めてラップトップという重さ8キロはありそうなポータブルマシンに変わった。on the deskとの決別の始まりである。そして1992年ごろだったか、日立から初めてのA4ノートが出て、翌年リコーからも同じものが出た。しかし、1995が大きな革命だった。
この年、四月から六月までの三か月間、グロービスというMBAスクールでパソ通講座が15万円で開かれ、IBM230という重さ1.7キロのシンクパッド/windows3.1を買わされて、「ニフターム」を知ったのだ。
その230のキーボードの真ん中にあった不思議な赤いポッチ、アキュポイント(操縦棹、トラックポイントともいう)。
はじめてこのマシンを買ったとき、私は学校と無関係にマイツールを搭載し、日立の(つまりリコーの)日本語変換を搭載した。ところが、かな入力が屋上屋になっているのを見て、即ローマ字変換に切り替えた。
そのとき、教室にマウスを持っていったら、若い高橋先生から「マウスを使うな、アキュポイントに慣れるんだ!」と一喝され、以来、アキュポイントのファンになって今に至る。
デルも良いかも知れない。vaioもいいかも知れない。パワーブックも良いかも知れない。だけど、どうしてアキュポイントが付いていないんだろう?
デルにアキュポイントが付いていれば、私も一回ぐらいinspironを買ってみてもいいのだが、、。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)