サイパンへ
今年の連休は、いつもより近い「サイパン」にしてみた。日本から、一番手軽にいける南の島(外国)というと、グアム・サイパンではなかろうか。すでにグアムはもう過去に何回も行ったことがあるので、今回は、行き残してあるということで、サイパンにしてみたのである。4/29の成田は、私も初めて見るほどの混み方だった。そこを何とかすり抜けるようにして、3時間後に、あのサイパン島に降り立った。すぐレンタカーに飛び乗って、この島で一番大きいスーパーマーケットJoetenを探す。そこで食料品を買い込んで、ホテルへ直行。
サイパンで一番日本人に知名度が高いのは、ホテル・ニッコー・サイパンだが、それは離れたところにあるし、繁華街に近い便利なところで洗練されたところというと、ハイアット・リージェンシー・サイパンということになる。初めこれにしようと決めかけていたが、今年に入って『海と島の旅』の特集号を見ると、一番人気は「アクア・リゾート・クラブ」とあったので、それに切り替えた。
アクアリゾートのプール
来るまではよく分からなかったが、来てみると、ここはパラオの「PPR」(パラオ・パシフィック・リゾート)をモデルに作ってあるようだ。PPRのほうが、格は上だが、、。このARCの一番の売り物は、ど真ん中のプールらしく、とても皆に愛されているようだ。佳恵も喜んで、毎日泳ぎに入るし、私も毎日1時間ぐらいは付き合った。周りのブーゲンビリアがとてもきれいだ。
プールには、簡単な屋外バーが付属していて、タオルもここで貸し出す。うまいな、と思ったのは、ここでウェルカム・ドリンクが一人1杯もらえることだ。要領が分かったので、二日目からは、わざわざ8ドルで同じカクテル「サイパン・ラグーン」を発注した。
到着日の29日は、これでも連休かというぐらいお客が少なくて、我々も他人事ながら心配したほどだったが、翌30日になると、様変わりににぎやかになった。若いカップル、子連れ孫連れのファミリーで、プールはいっぺんに人数が増えた。(なお、三日目にはこのプールサイドで地元民の大結婚式があった。)
衝撃の戦跡めぐり
二日目の朝は、まず約1キロほど北にあるホテル・ニッコー・サイパンまで、二人で足慣らしに行った。こちらは、さすがに日本人客であふれている。帰るとすぐ車に乗って、今回の私の主目的である北端の戦跡めぐりにスタートした。ARC自体が北部にあるので、北の岬まではひとっ走りだ。
まず見たいのは、「ラスト・コマンドポスト」(最後の司令部跡)。行ってみると、かなりの観光客が来ている。まず目立つのは、何基かの野砲・山砲・重砲群。中には砲口をダイナマイトで破壊されたのもあるが、そうでないのもある。
中ほどに、軽戦車だろうか、かなり小さな戦車が、キャタピラーも壊れたままで置かれている。中のエンジン部が6~8汽筒ぐらいで、ほうこんなにあのころにしては汽筒数が多かったのか、と感心した。銃座の主砲も、思ったより小さい。
この後、背後の司令部跡に登ってみる。山のがけの下に作ってあって、入り口は狭かったが、入ってみると、内部はかなり大きな広い部屋である。10m四方よりまだ少し大きかったか。裏口も大きかった。再び入り口を出て、野砲群を見下ろすと、左右に対称的に二門ずつあった。多分最初のまま動かしていないのだろう。
この後、東へ進んで、バードアイランドを見に行ったが、その途中、見上げる「スーサイド・クリフ」(自殺の崖)の高いのには驚いた。帰路は、右へ入って、nobさんのいう「バンザイ・クリフ」にも寄ってみた。こっちのほうは、典型的な海蝕崖だ。
再びプールにて
衝撃の戦跡を見て粛然としてから、今度は一転、サイパン随一の繁華街「ガラパン」へ。メイン道路ぞいの99セント・スーパーでジュースとパンを買い、アメリカ記念公園の海側マイクロビーチに行く。さすがに、さんご礁だけあって、砂はきめが細かい。公園の真ん中に、日本軍のトーチカが一つ二つ残っている。説明文もしっかり付いていた。この後、ハイアットリージェンシーの中や、付近の猥雑な街中を歩いて、スーパーやDFSの近くまで行ったが、早々にホテルに帰ってきて、再びプールで汗を流した。腕と顔が早くも赤黒く日焼けしていた。プールサイドで、ゆっくりと佐藤和正著『玉砕の島』(光人社NF文庫、2004年)サイパンの章を読み返す。
ということで、サイパンもあと一日あるが、どうやら有名なマニャガハ島にはついに行かずじまいになりそうだ。
タッポーチョ山登山
サイパン三日目の5/01は、山側のドライブウエー「クロスアイランド・ロード」とその途中にある高台キャピトル・ヒルを見ることにする。下のマッピ・ロードは何回も通って、もうすっかりおなじみの道になった。宿から10分ほど南下し、動物園ZOOを過ぎたあたりで大きな交差点を山のほうへ左折する。コーヒーと各種パスタで有名な「コーヒー・ケア」とやらもあっと言う間に通過してしまい、問題のキャピトルヒルもこれまたあっという間。
峠を越し、下りに差し掛かったところで、右手かなたに、あの有名なタッポーチョ山の険しい断崖が見えてくる。ウーン、このままこの道を走っていっても、小さな、平戸島の半分しかないようなサイパン島では、何も見ないうちに一周してしまう。
それより、今回北部戦跡と並んで、60年前の1944年にサイパン戦が戦われたときにも大きな主戦場となったタッポーチョ山(Mt.Takpochao、473m)は登っておきたい。そう思って、数百メートル行き過ぎた道を引き返し、先ほど見かけた、右上へのしっかりした大きな道に入った。
うまい具合に、道端で夫婦が道の掃除か何かをしている。車を止めて、「この道でタッポーチョに登れるか?」と聞いてみると、「イエス、これを右へ曲がって、その先を左へ、もう一度左へ」と、こちらの考えていたとおりの答が帰ってきたので、意を強くして上る。
今教わったとおりに道があり、その名も「タッポーチョ・ドライブ」という道路標識が続く。海抜300m見当のこのあたりにもけっこう住宅があるのにびっくりする。
山頂は360度
程なく広い駐車場のところで舗装が終わり、それから先は予想通りの未舗装道路だ。しかし下から見ても山頂には、テレビや携帯のアンテナが三本ぐらい立っているので、ということは、一番上まで車で行けるに違いないと読んだとおり、山頂までちゃんと自動車道路が続いていた。ところどころ、びっくりするような急坂が混じる。ここを歩いたら、さぞ息切れすることだろう。一番上は、道も平らあるいは下り道になり、アンテナのあるところが山頂だ。他にも一台二台とけっこう車が上ってくる。車の終点から山頂までは数十m。息の切れることもない。
今回のサイパンは、四日間のうち最初の三日間が快晴で、非常についていた。
山頂からは、南に、思ったよりも大きく国際空港が広がっている。その先には、テニアン島もはっきり見える。
西方には、右にガラパンのホテル群、左にはススペの湖が見えて、その間がいわゆる「ランディング・ビーチ」、60年前の米軍の上陸地点だ。この辺はラグーンの色がきれいで、盛んに佳恵から「あのへんを撮って」と催促される。
もちろん、東側には断崖が続いている。そして北端にはマッピ山(249m)が。
ラストデイ
最終日は、雨だった。朝食後、雨も上がったので、プールで名残惜しい一泳ぎ。
そのあと、ガソリンを入れて、空港に向かう。空港でjtbの現地係員を待つ間、すぐ北には、昨日のタッポーチョ山が手にとるように見える。その手前に300mの山、その手前に150mの高地。すべて例の『玉砕の島』に書かれているとおりだ。今回は、この足でしっかりと確認したが、十数年も前に、初めてグアムの帰りにサイパン経由で帰ったとき、滑走する機内から、北側に低い山が一つだけ見えたのが他でもない、このタッポーチョ山だったのである。
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(KK西研究所・所長 西 順一郎)