なぜM社が良いのか?

・一倉 定『あなたの会社は原価計算で損をする』技報堂、昭和38年。
・窪田千貫『限界利益のつかみ方』同友館
・今坂朔久『経営者のためのダイレクトコスティング講話』白桃書房、昭和34年。

昭和44年だったか、S社恒例の技術研究会が秋の日曜日を利用して開かれた。財務担当のY常務が、家電各社の総資本利益率のグラフを数年分見せながら、各社の経営効率を比較する話をした。当社のライバルであるM社のそれが直線的に右肩上がりなのに対して、我が社のそれは、乱高下しながら、全体としてはダウン傾向にあるのがはっきり見えた。

また別の日だったが、「モチベーションの理論と実践」で世界的に有名な小林茂常務が社内で管理者向けに「リーダーシップ研究会」を開催している席で、ある有能で知られる某課長代理が、いかに音響製品の開発現場が毎日苦労しているかを縷々発表された。

この二つの話が重なって、当時人事畑にいてモチベーション屋の端くれを自任していた私に、強烈なインパクトを与えた。苦労するからには儲からねばならない。努力と業績との間には、相関関係がなければならない・・・そう考えた。

そこで手始めに、ライバルのM社を研究してみた。石山四郎氏の『松下連邦経営』(ダイヤモンド社、昭和42年)を読むと、その中に「経理と生産技術を経営の武器にしている」と書いてあった。ではとりあえず、経理の方から取り組もうと勉強を始めた。

経理が分かりたい一心で、当時S社の経理部長だった坂井利夫さんにお願いして、一般社員のために、本社講堂で会計講座を10回ほどやっていただいた。これを全部録音して、プリント本に仕上げた。この作業を通じて、自分の経理音痴をなんとか乗り越えたいと思ったからである。本は何とかできたけれども、それで経理が分かるようになったかというと、そうはならなかった。

経営分析

昭和44年、中小企業診断士を受験した当時、私はまだ借方も貸方もまったく分からなかったが、経営分析の方なら多少の自信があった。なんとか経理の神髄を知りたいと何冊かの本を調べてみると、どうも「総資本利益率」が神髄ではないかと思われたので、早速社内でその改善運動を始めた。

ところが、ある事業部に行った時に、そこのトップから、「それより君、そもそもうちの事業部は固定費がいくらで、そのためにはいくら売らねばならないか知ってるのかね?」と反問された。これがきっかけになって、そうか、現場の関心は利益管理・利益計画にあるのかと、方針を変更し、もっぱら「DCの研究」に走ることにした。おかげで、S47ごろには、戦略会計・STRACが一応の結実を見せるところまでこぎつけた。

S45年ごろには、当時有名だった竹山正憲氏の「付加価値経営セミナー」に参加してみたり、後藤弘の付加価値会計・国弘員人の損益分岐点分析理論・それと中小企業診断士で出てくる「加工高」(売上-材料費外注費購入部品費)・固変分解のための最小二乗法・ラッカープランなどを研究して、S社の労働分配率を計算してみたりしていた。

そうした中で読んだのが、一倉氏の『あなたの会社は原価計算で損をする』である。これははなはだ読みやすい上に、論旨が明快で、考えを整理するのに大変に役立った。

まだ一倉氏もカリスマになっていなかったようで、久しぶりに同書を引っ張り出して巻末を見ると、ドラッカーや今坂朔久氏、松本雅男氏らの文献がずらりと並んでいて、ほほえましい。

後に、直接「一倉セミナー」にも何年か出席してみたが、論旨はまず同じで、つまらぬ一品一品の原価計算なんかやめて、全体の損益分岐状況を管理したほうが儲かる、というものであった。

LPに進む

昭和44年の中小企業診断士受験は、私の自己変革にまことに大きなきっかけになったように思われる。自分がいかに人事しか知らず、経理とか他の分野のことは知らないことがよく分かった。そこで、S45年4月から代々木の経理学校に通いはじめた。この勉強を5年間続けたおかげで、当時有名な各大学の諸教授や実務家の顔を一通り拝むことが出来た。

たとえば、直接原価計算DCについては、早稲田の青木茂男先生の教え方はスマートだがやや教科書的であるのに対し、一橋大學の松本雅男先生のほうが、専門は標準原価計算といいながら、その実、DCの講義の時のほうが歯切れがよくて、たいへん迫力があった。

そのように、DCを深く追究しているころ読んだ一冊が、窪田千貫の『限界利益のつかみ方』である。この本には「時間当たり付加価値」が入っていて、とても新鮮な感じがした。当時すでに、こうした簡単なLP問題が、公認会計士の試験にも出るようになっていたのである。

彼は青山学院大学大学院の出身のようで、一倉氏よりアカデミックな感じがする。この「時間当たり付加価値」(M/H)は、あとでSTRACⅡの強力なエンジンとなった。あるとき、大崎のテレビ部門に芝浦工場から遊びに行ったら、「それはLPですよ!」と言われて、(あぁ、これがLPなのか?)と初めて感動した。

ところが、「LP」(リニアプログラミング=線形計画法)の習得は難しい。正直言って、私は今でも分かっているとはいえない。なんとかLPをモノにしなければとしばらく攻略してみたのだが、後になって考えると、行列数学や線形代数のような基本を抜きにしてLPを攻略しても無理な話であった。

行列数学はなかなか変わった数学で、習得は簡単ではない。後に、マトリックス会計をやるときに、越村信三郎博士の著書をたくさん集めた中に、『ビジネスマンのための行列数学入門』のような本があって、先生はよく勉強されたものだと深く感心した。

千住・今坂両先生を呼ぶ

今坂朔久先生の代表作は、上記の『DC講話』である。他に『新・原価の魔術』なども有名だ。

このほか、慶応大学の千住鎮雄・伏見多美雄両先生の『新版・経済性工学』(日本能率協会、S44年)なども素晴らしい本で、これに感激した私は、昭和45年ごろ、S社になんとかDCのような科学的計数管理・計数尺度を入れたい、FCにとって代わらせたいと、千住・今坂両先生においでいただいて、管理者のための計数講座を導入した。

千住先生には、部門間の振替価格がいかに空虚なものであるかということを講義にぜひ入れてくださいとお願いしたことがある。先生は「そんな自明のことは、ふれる価値もない」という感じで、カットされたことを思い出す。

今坂先生とS社の関係は長く続いた。昭和50年、MGを仕上げようという段階でも、先生が「P-V-Q」の関係をいろいろと実証考案してくださったようだ。ただ私が直接担当になってからは、すでに戦略会計(STRAC)を実用化していたので、独自路線をとらせてもらった。

STRACからマトリックスへ

昭和50年年末に、MG仕上げの段階で、決算システムをどうすべきか、会計のど素人でも決算が出来るようにするにはどうすればよいのか、難関に直面していた。結局はマトリックス会計の採用を思いついたことと、当時未完成だった「決算行」の開発に成功して、ブレイクスルーすることが出来た。

しかし昭和51年2月、MGをプレスリリースして、4月から営業を開始したときには、実はまだ「戦略会計STRAC」の方は発表していなかった。

50年の夏だったか、社内のA君の紹介で、八王子にある某プレス会社の某氏にSTRACの中身をうっかりもらしたのが大間違いで、その後気が付いたときには、なんと私に無断で、コンサルタント業界誌に発表されてしまっていた。

それならばと、51年6月に岐阜で行われた全国能率大会で、正式にこちらも発表した。以後、6月のMGから、現在のように教え始めたのである。もちろん好評だった。

STRACは、「利益拡大の科学」と別称しているように、Gアップに役立つ周辺科学をあれこれ統合して、結晶させたものである。したがって、これを使った企業は、それを知らない企業にくらべて、格段に、楽に儲けることが出来る。

秋田の中央市場、後藤氏の滋賀ダイハツ、孫さんのソフトバンク、その他有名無名の会社で効果を出している。

最近、「TOC」(制約条件の理論)というものが出てきて、中でゴールドラット博士が「スループット」と言っているものは、ずばりDCである。DCは、固定費の配賦や賦課を一切排除する。これはキャッシュベース経営(キャッシュフロー会計)ともほぼイコールである。(CF経営は、京セラが有名。)

しかしDCはあくまでもフローであって、「フローとストックと資金」の三つを三位一体とし、全体性・一覧性・平明性を一挙に実現したマトリックス会計とはおのずから違うものである。このことを理解し、STRACにとどまらず、MX会計のほうにも積極果敢に進んできていただければ幸いだと思う。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)