名門ホテルの変容

 「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし、、、。」
「年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからず」

今年の第15回西研タヒチMGツアーで、大きく様変わりしていたのは、「某・名門ホテル」と、そこから約1キロ離れた中華料理屋「レストラン・マティラ」の二つであった。

1986年第一回タヒチツアーから今年でちょうど20年になる。第一回のときは、同じボラボラでも、「ホテル・マララ」に隣接した「ホテル・イビス」という中級小型のホテルだった。第二回は「ホテル・マララ」。これは一流リゾートの一つである。で、第三回から「某・名門ホテル」が多くなっていく。

当時そのホテルは、世界に冠たる超一級ホテルで、たとえばチェックイン・カウンターにいる女性にしても、若くてきれいな、それでいて威厳のあるタヒチ美人であり、白い花輪を頭にかぶって、堂々たるものだった。

ハワイ生まれのDavid中野氏が総支配人で、われわれには特別に親切にしてくれた。普段は一般公開にしている本館左隣のゲームセンターを、二日間だけ特別にMGに割いてくれた。ここからは「目に痛いブルー」の眺望がすばらしく、すぐ傍らの白い珊瑚の砂浜ではノーブラのフランス女性が日光浴をしていたりして、甲府のA氏などは、STRAC表を書きながら、いつの間にかガラスの上にマジックで書いていたくらいだ。

六年ぶり

今年は、前回の2000年から6年ぶり。いつの間にか中野氏は日本駐在の極東担当から、たしかバリのアマンダリ担当支配人になったとかで、支配人が新しくなると、万事杓子定規になり、何の特別扱いもなくなっていた。

「ホテルの3B」の一つである朝食なども、初期のころは「スペシャル・サンデー・ブレックファスト」と銘打って、パンが10種類、果物が20種類、なんとかが無数と、まさに山のようにあって、お客の方が取捨選択に困ったくらいだ。

今年は、「え、これだけ?」とさびしい限りで、これでは「天下の高級ホテルグループ」が泣くのではないか。

以前は、「ボラボラバーガー」(1000フラン)がお昼の名物だった。いまや「ハンバーガー」(1700フラン)と名前を変えて、味はそれなりにおいしいのだが、それにしても昔日の面影はない。

あの中華料理屋はどこへ?

初日の夜は、気の置けない夕食と乾杯で楽しみたい。そこで少し向こうの中華料理屋まで延々1キロほど歩いていく。ところが、着いてびっくり、座ってびっくり。かつて、かの名門ホテルと双璧をなした二大楽しみのひとつ中華料理屋が、影も形も大変わり。

オープンエアの、潮風に吹かれながらヒナノビールを、餃子を春巻きを、野菜炒めを楽しんだあの中華料理屋はどこへやら。オープンエアはガラス張りになり、料理はすべてフランス風、イタリア風になり、したがって値段も上がって、とてもゆったりと世界共通の中華の味を楽しむようにはなっていなかったのだ。以前プチホテルだった山側の家々もきれいになくなっていた。ということは、売却されて持ち主が変わったのだろうか、、。

タヒチ旅行の呼び物を二つながらもぎ取られたわれわれ旅行者の気持ちが分かりますか?

ランギロアはまだいい

二日目夜(水曜夜)、「某・名門ホテル」のタヒチアンダンス・ショー。この日のために私はビデオカメラを万事抜かりなく準備した。今回二度目の千葉均さんも「あの感激をもう一度」と楽しみにしていたようだが、これがなんと妙な火祭りと力比べのスポーツ大会に変じていたのだ。ここに至って、このホテルを長年心のよりどころと唱え続けてきたうちのノアノアも、ついにがっくり。

ランギロアの西村雅春写真館訪問や、翌朝2Hのティプタ・パスでのすばらしい「ドリフト・シュノーケリング」でなんとか巻き返しはしたものの、初日のタヒチ本島では雨にやられ、二日目~三日目のボラボラ島では大きな失点を出してしまった。おまけに驚かそうと楽しみにしていた「サメの餌付け」まで、実際は「サメ」の餌付けではなくなっていたのだ、、。

David中野氏は、今でも三月に一回はバリからこのホテルの娘夫婦のもとに帰ってくると言うが、ボラボラ島の異常人気からくる豪華リゾートホテルの乱立と過当競争を前に、さしもの名門も、看板だけでは太刀打ちできなかったようだ。

千葉氏は、アメリカ資本の大衆迎合からくるヒューマニティーの破壊と捉えるようだが、日本の場合も、S20の敗戦により、旧制高校の廃止と、2600年に及ぶ日本精神主義の破壊で同じ憂き目を見ており、他人事ではない。

西研も新しい「タヒチMGツアー」の模索を始めねばならない。最後までなんとか盛り上げてくださった参加メンバーの皆様、JTB/STPの皆さん、本当にありがとうございました。また次の機会まで、マルルー。(^^)

(KK西研究所・所長 西 順一郎)