三度目のシンガポール
毎月一日はきゅりあんの半年先の場所取り抽選があるので、その日だけは東京にいなければならない。そこで、それを済ませた翌日の5/02、2000成田発のシンガポール航空SQ11便に乗り込んだ。
機は向かい風の中、深夜0210(現地時間0110)にシンガポール・チャンギ空港に到着。こんな時間にもちゃんとルックJTBの現地案内人が出迎えてくれて、現地0200ごろシンガポール・シティ南部のSENTOSA島のリゾートホテルにチェックイン。
シンガポールは、私は三回目。一回目はS56/1月に、現地日系企業の海外MGで、このセントーサ島に、何も知らずに連れてこられた。若い二階堂くんと二人連れだった。昼間の日差しとか、真夜中の野鳥のけたたましい鳴き声とか、いかにも「熱帯」という感じが強烈だった。初めて見るブーゲンビリアの紅が素晴らしかった。
二回目は2002年。バリ島MGのはずが直前の爆弾騒ぎで急遽行き先変更になり、私も行ったことがあるということで、シンガポールMGに。参加者二卓13人の盛況MGとなった。隣のビンタン島(インドネシア)に45分のフェリーで渡ったのが印象的だった。
今年は、いつものハワイに行くには、日取りが足りないということで、過去二回印象の良かったシンガポールを選んだ。サイパン同様、行程的にも楽だし。
ラサ・セントーサ・リゾート
六年ぶりのシンガポールは、まず空港が一新されて広大だった。成田どころではない。天井は高く、広々としている。
セントーサ島は、もう三回目なので勝手が分かっている。前回来たときには街中(銀座)のマンダリンHだったが、パンフで見ると、この島の西端に、石垣の全日空ホテルに似て、いかにもリゾートホテル然とした「ラサ・セントーサ」というホテルが、ビーチに面して建てられている。ここならば、ハワイでなくてもハワイ風の過ごし方ができそうだというので、まずホテルを決めた。
行ってみて、予想どおりの良いホテルだった。前回皆と来たときには、経験もないし、時間も不足だったので、中央部の「シンガポール歴史館」と水族館程度しか回れなかったが、このホテルのある一帯は「シロソ・ビーチ」と言われるところで、ホテルの玄関から歩いて1~2分で有名な水族館、ホテルの北裏山が「シロソ砦」だった。便利!
初日は、島中央の「歴史館」に行ったが、お目当ての(前回印象的だった)S17年の英軍降伏調印式風景の蝋人形(等身大?)がない! 第二次世界大戦のところは、あっさりと簡略化されて通過。がっかりして出てきた。あれがないのでは、ここに入る価値は、、、?
翌日、水族館の切符の片割れで島東部の「いるかショー」にも入れるというので、暇にまかせて、無料島内バスに乗ってみる。いるかショーそのものは25分間で、一時間半以上も待ったにしては物足りなかった。
ふと気がつくと、自分が座っている座席のそばのテントの柱の影が、よく見ると南に延びている。北から日が差しているのだ。ここは北緯1度で、ほとんど赤道直下だが、五月には太陽は台湾の「北回帰線」近くまで北上しているので、日は北から差すわけだ。
シロソ砦
西端のシロソ砦の砲台跡なんて、忙しい日帰り旅行のときには到底寄ることはないだろうが、今回はセントーサ島三日間+街中一日コース。余裕があるし、気がつくと自分のホテルの裏山だということで、そこそこの金を払って、散歩をかねてこの戦跡にも行くことが出来た。
砲台の跡は、観音崎でも見ているし、壱岐にも巨大な砲台跡が残されている。
しかし、ここは一大公園として保存状態もよく、木々が多くて、気持ちも良い。一周して最後に「博物館」に入ると、なんとここに、あの降伏調印式の蝋人形(中央が山下奉文中将)がきれいに移されていた。1947.0215。この日から、昭和20年の八月までの3年半が日本の占領統治時代だ。
この英軍降伏時の蝋人形も立派だが、その隣の日本降伏調印式もまさにこの場所で行われたということで、当然かも知れないが、こっちの方が1.5倍ほど大きいし、立派。悲しいかな、そちらのほうは写真を撮る気にならない。
P80
今回の旅行には、前号でも書いたように、ニコンのP80という新発売のカメラを携行した。直前、ソフトケースも入荷はしたのだが、入れてみると、ごろっとして、かさばるので、リュックに入れるには不向き。カメラを二重三重にビニール袋でくるんで、ケースなしで持っていった。
この18倍超望遠コンデジが威力を発揮したのは、「いるかショー」のとき。
何しろ、100mぐらいはなれたところで、瞬間的にいるかが飛び上がってバッシャーンとプールに落ちるのだが、このカメラはさすがにF1とか飛行機・列車を撮影するのに向いているだけあって、スポーツ連写モードを使えば、八ミリ同様に軽々と撮れるのだった。
しかし、普通の撮影となると、画質的にキャノンのG7の方がカチッと撮れる感じで、帰国してからは、また再びG7をリュックに入れなおして、そちらで傑作を狙おうと思っている。
(KK西研究所・所長 西 順一郎)