初めての一心亭
初めて「一心亭」(東京都下、奥多摩・鳩ノ巣)に行ったのは、まだ高校三年生のとき。昭和31年(1956)だった。あれから50年あまり。前年、私は初めて東京に出てきた。人が多くて、外出すると人に酔い、疲れた。
新学期が始まってまもなく、私は一年間の休学を命じられ、生まれ故郷に帰った。五ヶ月間入院生活を送り、慰みに初めてのカメラを買った。翌年三月再び東京へ。
都内見物で、日本橋三越の屋上に上ったら、見渡す限りの家ばかりで、はるかな向こうに、山々が小さく小さく見えた。私は長崎県の生まれだから、生まれてこの方、山が見えない経験をしたことがない。だから毎日山が見えない東京の生活はなにか落ち着かなかった。
三越の上で見渡す限り家ばかりの写真を撮ってから、早速向こうに見えた山に行くことを考えた。
4月29日、天皇誕生日。安物のコニカ・カメラを持って、青梅線の御岳(みたけ)山に出かけた。ケーブルカーの山頂駅で写真を撮った。当時、サクラカラーは茶色が強く、フジはブルーが強かった。御岳山(927m)へ行く途中、ヤマザクラが一本だけ、白い花を付けていた。
この日のルートは、神社から少し引き返して、西のほうへ向かう小道へ入り、1時間20分ほど大楢峠まで、そこから北へ急坂を降りると、1時間で鳩ノ巣に到着した。多摩川の源流がとうとうと流れている。そこの一心亭で白く冷たいそばを食べた(九州人は、こんなとき、うどんかソーメンなのだが、、)。
その後もときどき
以来、この鳩ノ巣、一心亭が気に入って、折に触れては何度も足を運んでいるが、ここ二度ばかり、いつ行っても閉店である。で前回、通りがかりに「最近お宅は営業してないのか?」と聞いたら、「何曜日に来てるのか?」「いつも火曜日に来てる」「ウチは、火曜日は休みですよ」といわれて、がっくり。しかたなくここ二回ほど、駅前の食堂で済ませていた。さて、今回は水曜日だし、数日前から天気予報を見ていると、この日だけが晴れらしい。梅雨の晴れ間だ。この日に行かないと、あとは出張その他でしばらく機会がない。
最初は奥多摩に行こうというのではなかったが、たまにはいいかと、前日時刻表で調べ始めた。
高尾山なら、1030に家を出れば、東京駅1100過ぎで十分間に合う。ところが、奥多摩となると、これより2時間は早く行動しないと、青梅線のそのまた奥までは到達できない。
幸い、昨日は早く目が覚めたので、830には電車に乗って、900過ぎの青梅行きに座れた。奥多摩駅(もとの氷川駅)についたのは1131。これから先は慣れている。
川沿いを下る
すぐ駅前の観光案内所に行って、顔なじみの女性事務員に奥多摩駅から鳩ノ巣までの「遊歩道ガイドマップ」を貰う。「昨年来たとき、途中落石のため通行禁止というのがありましたが、今年も駄目ですか?」「いや、もうとっくに大丈夫ですよ」と言われて、勇気百倍。というのは、その駄目というところが、撮影地としては、最高の場所だからだ。
駅前で握り飯でも、と思ったが、いやいや一心亭でそばを食べるのが今回の大戦略だから、とかろうじてあきらめた。あとはスタスタ歩くより仕方がない。
見晴らしの良い昭和橋を越えて、ちょっと行くと左側に庭がひときわ素敵なお宅がある。今年もどうかなと思って寄ってみると、ちょうど奥様が花のお手入れの真っ最中。「秋が良いんですよね~」と言われて、では11月にでもまた来るかと思いながら、先を急ぐ。
川からダムになり、白丸湖に。釣が二人、カヌーが二艘。最初はあまり写真になりそうもなくて、あれ、こんなだったかな? と思ったのが、進むにしたがってだんだん良くなり、調子が上がって、この日60枚ほど撮った。
早く行かないと、一心亭が閉まったら大変だ。最後はびんびん歩いて、滑り込んだのが1340。そば定食とお酒を一つ。そば定食には、鱒の塩焼きと鯉のあらいが付く。日本酒は、沢の井だったらいいだろうなと思っていたら、まさにその沢の井で、U氏よろしくその写真を撮った。
そばは白ではなく、薄茶色。小さなカゴに盛られている。味は悪くない。50年前の高校生の時には、間違いなく白いそばだったと記憶しているので(ちなみに大学一年のときに小諸駅前で食べたそばは真っ黒だった)、世代が変われば、そばも変わるということだろう。
ご馳走様でした。御かみさんから「もう一頑張りですね」と言われながら宿を後にする。なるほど言われたとおり、まだかまだかという登りだ。ようやく上に着いて、1453鳩ノ巣駅発に乗り、東京駅1652着。帰宅後、写真を焼いたら、一二枚は良いのがありました。
(KK西研究所・所長 西 順一郎)
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