9/22(土)、新幹線で
9.22 土 758 品川 名古屋933 のぞみ9 13-13D禁 10780
早朝、いつものように品川から新幹線に乗り、名古屋「愛環MG」に向かう。列車が多摩川を渡ろうとする808ごろ、突然携帯が鳴り、妻から「つい先ほど(私の)母が亡くなった。名古屋終了後、そのまま長崎に来てほしい。23日が通夜、24日が葬式」という。
手持ちの切符は、明日名古屋終了後東京行きになっているわけだが、これを行き先変更で、九州長崎に向かうか、それとも名古屋国際空港から長崎か、福岡へ飛ぶ方法もある。ただ、名古屋国際にはまだ一度も行ったことがないし、飛行機は汽車と違って、早めに空港に行っておかねばならなかったりするので、ここはやはり汽車を選んだほうが(遠いとはいえ)順当なようだ。
9.22 土 1000 / 名古屋光清KK MGジュニア UK.愛環 052-321-9568 40,000
9.22 土 2222 Hグランコ-ト名古 泊まり UK.愛環 052-683-4111 宜しく
9.23 日 0 ~~~~~~~~~~~~~ 秋分の日 西研~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9.23 日 930 / 名古屋光清KK MGジュニア 土谷青野090-3561-**** 会場
9.23 日 1757 新 ナゴヤ 博多2130 ノゾミ43 13-9D禁 7210
名古屋終了後、いつもは1945ごろの上りにするのだが、今回は、1700早々会場を失礼して、タクシーで駅へ向かう。
コンピューターで意思決定
9.23 日 1800 ● 浦上メモリ-ド 岳母・光子通夜 T子
9.23 日 2208 新 博多 浦上2351 かもめ49 1-9C 990
名古屋で、24人4卓MGのかたわら、列車の接続をマイツールで研究する。
急な変更や複雑な選択の時には、いろんな案をマイツールの日程管理に叩き込んで、日時でソートしてみれば分かりやすい。こういうときには、以前からいつもそうやって乗り切ってきた。
コンピューターは意思決定の道具だというが、行動計画にも非常に役立つということを、何人の人が知っているだろうか?
上記のように、長崎の浦上駅に2350までに滑り込むには、名古屋を1757発博多行きのぞみに乗るしかない。博多で38分の待ち時間があるが、ほかに列車はない。
そう決まったので、早速近くのJR金山駅まで行って、行き先変更をした。お通夜には間に合わない。今夜は、勝手知った厚生年金会館に泊まって、朝、葬儀会場に向かうことにしよう。
9.23 日 2222 ● 浦上メモリ-ド 泊まり 095-845-0860 一泊の
9.24 月 0 ~~~~~~~~~~~~~ 振替休日 西研~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そういうつもりで、列車に乗ったところ、また妻から車内に電話があって、厚生年金会館はキャンセルして、浦上駅からタクシーを使って、上記「大橋メモリード」に夜中でも来てほしい、という。厚生年金二連泊を一泊に減らし、言われたとおりに、浦上駅からタクシーを拾って、「大橋のメモリード」と言ってみる。
タクシーは、素直にすぐ近くの大橋に向かい、大橋のY字路を右へ曲がって、昭和町方面の道へ入る。と、すぐ左にあるのが目指す「メモリード」であった。なんだここは、自分もよく知っている、OKエンタープライズ社の元本社のあったところではないか。
9.24 月 1500 ● 浦上メモリ-ド 岳母・光子告別式 T子
9.24 月 2222 長崎厚生年金 禁煙 長野 095-845-0860 一泊の
思い出の中を歩く
翌月曜日は、告別式が午後からだというので、朝は勝手知ったる周りの散歩に出た。浦上川から昭和40(1965)~41年の上京前に住んでいた懐かしい大橋県営アパートの現況を見に行く。あれから40年、あたりはすっかり様変わりしているが、昔の県の土木事務所・長崎大学工学部などは変わっていないので、それを目印にアパート跡を歩く。今でもアパートはアパートなのだが、高層の近代的な建築に立て直してあるので、昔の面影はない。
電車通りに出て、41年5月、私の一生を変えた、すぐ近くの町の本屋を探すが、これはさすがに影も形もない。まったく建て換わっている。40年もたてば、こうなるのも当然かも知らない。
あの日の朝、28歳の私は、朝飯前に近所の散歩に出て、とある道端の本屋に立ち寄り、そこで棚の上段にあったソニー・盛田昭夫著『学歴無用論』(文芸春秋社、1966)を発見して、我が家に急ぎ取って返し、550円で購入して、夜遅くまでに一気に読んでしまった。その中に、「ソニーは毎年一月に人材募集をする」という一語を発見して、私の以後の運命は一変した。
その本屋はない。すぐ目の前の長崎大学に入り、構内を突っ切って、裏門から昭和町通りに出ると、メモリードは100mだった。暑くて、汗びっしょりの一時間だった。
9.25 火 1015 長崎 羽田1155 JAL1842 西順一郎70
告別式のあと、火葬場へ向かい、あと稲佐で身内の精進揚げがあって、二日間のイヴェントは終了。最愛の母を送って、心身ともに疲れた妻や孫たちとともに、大村空港から帰京した。
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(KK西研究所・所長 西 順一郎)
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