小川先生の話

 4/07~08と川崎市・LR小川会計で行なわれた「小川MG」で、たまたま顔を出してくださった小川湧三先生が、短い中にもとても良いお話をしてくださったので、今日はそのご紹介をしよう。録音を再生するのが一番良いのだが、あいにく録音はとってないので、以下、私のメモの再生である。

経営者の道場

MGは、経営者(経営に携わる者)の道場である。経営は知識ばかりではダメで、身体がついていかねばならず、行動が伴わなければならない。

経営者は、瞬間に正しい意思決定を求められる。それが出来るようになるために、MGを100期、200期と繰り返し、ゲームを通じて体験したこと、そのときそのときの体験を、自分の判断基準として身体に沈潜させ会得していく。意思決定の正しい基準を、自分でこのゲームの中から摘出してくるのである。

MGは、さまざまな場面とそれに対する意思決定がぎゅっと凝縮された玉手箱みたいなもので、そこには汲めども尽きないものがある。

私は、昭和55年(1980)ごろから30年間やっているが、これでもう良し、という上限がない。限りがない。これで到達した、というものがない。

MGには経営力のすべてが詰まっている

それはなぜか? いろいろ考えていたが、数年前にハッと気がついた。MGには経営の要素・仕組み・考えが全部詰まっていて、DNAの螺旋模型のようにびっしりと何重にも折り重なり組み込まれており、自分の成長度に従って、必要に応じ、次々と出てくる。まさに「経営の玉手箱」だ。

 

また、MGには経営を鳥瞰できる会社盤、赤・青・黄色のチップなどの視覚化された道具があり、さらにSTRAC・マトリックス会計がシンプルに、核心をついて出来ているので、経営者ばかりでなく、社員を含めた全社員の情報の共有化、意思の共通化に役立つ。

そういうことで、私はいまなお、自分を磨くために続けている。

一体になるまで

道場は、同じことを繰り返し繰り返しやっていく。自分の身体と意思と頭が一体となるまで、それが出来るまで、繰り返しやっていく。

 

どんなベテランでも、剣道でいえばどんな練達の士であっても、毎朝の素振りは欠かさない。

道場における訓練は、「守・破・離」と言って、まず形から入り、繰り返し繰り返し練習し、やがて自在に形を使いこなせるようになる。やがて形を超越し、独自の境地に至る。

それが道場だ。MGはまさに道場であって、第一期から形を崩さず、毎回五期まで行なうが、一回として同じではない。体調、周囲のメンバー、場の環境一つとして同じではない。

MGの自由性

もう一つ、道場もMGも、参加する人を制限しないことである。会社における地位、年齢、職種、性別などを区別しないところが素晴らしい。

 

私は30年間やりつづけて、ここへ来て、ようやくMGの良さを、芯から理解できたのではないかと感じている。

MGは、一旦分かったと思っても、繰り返しやらないと、すぐ錆びてしまう。
MG思考を自分の身体に沁みこませて、経営上の行動にいつでも反映できるように、頑張って勉強しつづけてほしい。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)